妻は亡くなるギリギリまで子供達のために、朝早起きしてお弁当の用意をしていました。そして「子供達のことをよろしくね!」そう言い残し旅立ちました。
1日でも長くお弁当を作ってあげたかった妻の想いを、なんとか引き継ぎたい、その想いだけで女子高生弁当作りの挑戦は始まりました。
茶色のお弁当じやぁ、友達の前で開けられないし、そんなお弁当見ながら、「お母さんがいてくれたらなぁ?」なんて寂しい想いもして欲しくない・・・
毎朝5時に起きて、何度も厚焼き卵を失敗したりと、最初は大変でしたが、なんとか高校卒業まで頑張れました。
その結果、ご飯を炊き忘れたり、慌てて撮り損ねたりもしましたが、600枚以上の画像をスマホの中に残すことが出来ました。
私もサラリーマンですが、働きながら子育てをするお母さんの大変さを少しわかった気がします。
だから今更ながら、妻に感謝しているのです。
(篠パパ 妻がスキルス胃がんにて45歳で死去)